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有玉特殊行事 流鏑馬

 

およそ四百年前、徳川家康が大阪の陣からの帰陣の際、戦場で乗った愛馬を寄進したことに始まる。当時の人々の喜びを今に伝えている。有玉に伝わる一連の行事を紹介する。

禊(みそぎ)の儀

 行事の当日、馬に乗る人(一の松、二の松、三の松)口取り(馬の口を持つ人)行事を進行する人が米津の海岸まで行き、安全を祈願する。(昔は井戸の水でそれぞれが体を清めていた)

宮回りの儀

三頭の馬がお宮の周囲を一回りする。(馬が神社をお守りするという意味を持つ)

弓張り(ゆみはり)の儀

三頭の馬がお宮の周囲を一回りする。(馬が神社をお守りするという意味を持つ)

奉納相撲
お馬受け取りの儀

馬に乗る三人が厩に行き、「世話人の皆さん、例年通り今年も馬をお借りします」と頼み馬を借りる。

 

射形(しゃけい)の儀

三人は的に向かって三本ずつ矢を放つ。使われた矢や的は縁起物として見物人に配付される。

 

剣(つるぎ)の舞の儀

三人は的に向かって三本ずつ矢を放つ。使われた矢や的は縁起物として見物人に配付される。

 

江戸時代には、浜松城主が毎年多くのお供を引き連れて見物に来たと言われている。今に残る、有玉の特殊行事である「流鏑馬」を今後も継続保存していくことにより、温故知新の心を未来にもつなげていきたい。

            

            有玉特殊行事流鏑馬実行委員会

最後に三人は相撲によって勝負を決めることにする。二の松の行司で、一の松と三の松が相撲をとり、一の松の勝利でこの行事が終わる。

 

 

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